人を怒る時は、自分を棚にあげて怒れ
この前のエントリでも書いているが、ここ最近人を育てることに頭を悩ませてる。
成長して欲しいと強く思っているが、そんな簡単には成長してくれないし、
バックグラウンドも違えば思考パターンも違うのでしょうがないと思っていても、
それでも、期待値を求めてしまう自分がいる。
ただ、そう思い悩んできたこの一週間で分かったことは、
自分の考えがまだまだ甘かったってことだ。
本当に成長して欲しいと思ってると自分では思っていたが、それはまだまだ願望レベルだった。
早く成長してくれるといいなぁ
と、こんな具合。育ててるつもりなのに、正直責任感に欠けていたと思う。
現状を変えるには、まず自分から変えなきゃだめだという結論に至った。
何が何でも成長させる、と。
器用じゃないんだから、育てるってことにちゃんと向き合う必要があるんだ、と。
なので、とりあえず、2つのことを相手に対して真摯に行おうと思う。
■やること
①どんな厳しい時でも気を配ること(相手のためなら自分が嫌なことでもやる)
②自分の方法や考え方をもっと見せて、相手が考え終わるまで待つこと
失敗すればまた方針転換をすればいい。
本気で面倒を見ようと思った、今日の昼間だった。
今読んでる本で、ユングのシャドー(影)という概念が今までの自分を理解するのにしっくりきたので書いておこうと思う。
シャドーとは、自己認識の反面の自分、無意識下の自分のこと。
人が、ある生き方をしてきたということは、その半面の生き方をしてこなかったということ。
つまり、その半面の生き方を切り捨ててきたといえます。
すると、その半面は無意識下へと追いやられることになります。
完璧な人などいないので、その反面も自分になるわけです。
無意識なので気づきませんが、捨ててきたその生き方を自身は否定しているのです。
ただ、自身が無意識で否定している生き方をしてきている人もいます。そして、その他者を否定する時、自分の影(シャドー)も否定しているのです。だからこそ、余計に感情を乱すのです。
だからこそ、自分は怒るのが苦手なのだと思った。
自分は非常に甘い人間なので、甘いという部分ではどんな人にも似てしまうわけだ。
我儘で、怠惰で、ルーズで…、甘ちゃんの全ての要素が当てはまると思います。
そんな自分なので、他者に否定の感情を持った時きっと自己を否定することになると無意識で分かっていたのだと思います。
この事に気付いた時、自分主体ではなく、相手主体で考えないと成長させられないと感じたわけです。
そんな時に思いだしたのが、会社の本部長が何気なく言っていた言葉です。
「人を怒る時は、自分を棚にあげて怒れ」
その時は「どんだけ上からだよ」と思いましたが、今回その意味が分かったような気がしています。(他にも意味があるのかも分かりませんが)
何はともあれ、精力を尽くしてみます。
補足ですが、シャドーは悪いものというわけではありません。
意識と無意識は必ず互いに必要なもので、そのバランスは常に調整されています。
また、シゃドーは自己を変革していくために最も必要なものとなりえることができます。
そう、俗にいう反面教師ってやつで、嫌いな人・物からこそ、学ぶものが多いってことですね。
今日はこのへんで。