光合成から効率について思ふ

未だ人間の技術力では、再現ができないエネルギー生成法。光合成


光から電子への変換効率は9割以上。
光合成の一部では量子の重ね合わせすら起きているという。


粒子が同時に別々の場所に存在したり、相反する状態を同時に実現したり。


そして、最適な経路を導き出す。


また、葉っぱに入った光は葉の中で乱反射され、様々な波長の周波数を無駄なく吸収する。


生命が地球に誕生する前からいることを考えれば、当然の進化なのかもしれない。


それでも、そんなことはどうでもいいくらい光合成は恐ろしく効率的なのだ。
詳しいことは詳しい誰か解説してくれ笑


元は日経新聞の日曜の記事。日曜はサイエンス的なコラムがあって結構好きです。
他のコラムも含め、ネットでも見れるようにしてくれ!(もちろん無料で)


ってか、土曜の朝刊の別刊?の質が落ちたと思うの自分だけ!?
賛同する方いたらレス求む。
iphone買ってRSSリーダーでニュースが見れるようになったから、本気で解約考えてる。


とまぁそんな話は置いておいて、、、


光合成が効率的な理由をよくよく考えてみると、全く自然で恐ろしいほど理にかなっているなぁと考えさせられた。


つまるところ、
①何通りもの方法を全て試して、最適解を見つける
②与えられたものを自分の中で何度も噛み砕き、そして利用する


これって人間でも変わらないじゃん。と、そう思った。


何もしないよりも行動すること。例えそれが失敗しても、成功するまで行動すること。
与えられたものを吸収して、自分のものとすること。


ほんとシンプルなルールですよね。
しかもそのレベルが上がれば上がる程、効率が上がっていく。


そんなことを考えていると、無印で購入したこいつが如何に凄いやつなのかが身にしみて感じます。


…水、何カ月もあげてないや笑


今日は奮発して栄養剤もあげます。


ファイト一発ではないですが、自分も着実にレベルを上げていこうと思った夜でした。


目指せ変換効率9割!インプットの9割を吸収できたら偉人になれるな。
レベルが上がったらダーマにでも行きますかね。


ではでは、今日はこのへんで。

一期一会と運命の黒い糸

ゴールデンウィークも終わってしまいましたね。楽しい時ほどすぐ過ぎてしまうといいますが、本当にあっという間のゴールデンウィークでした。


様々な旧友に会う機会があって、3年ぶりとか6年ぶりとかの再会が目白押しでした。毎日、色んな刺激を受けて、自分自身とても充電してもらったような気がしています。


後は、泊りがけで近場に遊びにいったり、帰省して人生初のWebサーバー構築なんてこともやってみたりしました。


そして、ゴールデンウィーク終わりの帰りの新幹線の中で思ったのは、一度結ばれた絆ってのは切れないものだとしみじみ感じました。


そんな中で放送していた、日テレ?の運命の黒い糸はとてもいい企画でした。


「会いたくない!けど、実は気になる・・・」
そんな相手と会わせちゃう企画。


自分の中で強い思いがあった過去があるけど、何かしらの理由で連絡がとれない。
それでも、思いがあった故に相手がどうしているか気になる。


どうしてるのかなぁ?と妄想してしまうのは、自分が未練たらしいだけなのでしょうか笑


たまたま一昨日、過去の恋愛を振り返る機会があって、自分も相当な黒歴史を歩んできたなぁと本当に反省させて頂きましたが、それでも誰一人残らずみんな幸せになって欲しいと思ったそんな金曜日でした。


絆かぁなんて思っていたら、自分の中では白い糸と呼べる絆もあるなぁと下記ニュースで思い立った。


北アルプスで山の事故相次ぐ 2人が死亡 - 社会
命を落としてしまった方にはご冥福をお祈りします。


自分もちょうど4年前のこの時期に、北アルプスに登ったことがある。
あんまり雪がないと思って望んだ人生初の単独雪山登山で、何も知らない若造を本気で叱ってくれて、優しく接してくれたよっちゃんさんとひろさんの夫妻には本当に感謝している。


小さいコンロで水を沸かしてコーヒーをごちそうしてもらい、ひろさんが滑落して死を垣間見た話や、天気がいい時は日焼けと雪崩に気をつけないといったことなど本当の両親のように接してくれた。


自分が生きて帰ってこれたのも、二人のおかげといっても過言じゃない。雪山は美しい、だが恐ろしい。それを肌で実感した登山だった。


もしかしたらもう会えないかもしれないが、お二人には幸せに過ごしていってもらいたい。


まだまだ思う所もありますが、このへんで。
ではでは。

葛西臨海公園にて

天気も良く風もあって暑すぎないので、ジョギングかつ公園でお昼!という名目で葛西臨海公園まで行ってきた。


行くたびに毎回思うのだが、あの公園はほんと平和な雰囲気を醸している。
小さい子供連れの家族がやたら多いし、大学生はけいどろなんかやっている。



あぁ、平和だなぁなんて過ごしていたのも束の間。
お昼を食べていると何やら周りがおかしな雰囲気になってきた。


レフ板もった黄色い服きたスタッフ思しき人。
柵にもたれかかり、セクシーポーズをとるじょし。
高そうなカメラを持ったおじさん達。


……え、え?
こっちは普通にお昼中なんですけど的な。


向こうからしたら、きっと「こっちは普通に撮影中なんですけど」的な感じでしょうけど。


人の気も知らず、撮影会は続けられ、目の前をモデルさん?とカメラ小僧(お父さん)が通り過ぎていく。


物珍しさでモデルさんを見ていると、目線を向けられきまずい。ので、ちら見。
と、そんなことをしているうちに違うグループがやってきて撮影開始。
そろそろここにいちゃまずいんじゃないかと思い、撮影場所とか書かれた張り紙を探すもない。


なので、どっしり座って観察してみることにした。


正直な感想からすると、女の子は普通な感じ。一般人には瞬時にポーズ決めをすることはできないと考えると、自分を強く意識する職業なんだろうと推測。
おねー系ばっかりかと思ったらメガネやら幼児みたいのもいたので、キャパとかじゃなさそう。かといって、ご主人様みたいな雰囲気ではないので、メイド喫茶でもなさそう。
結局なんかのファン感謝デーかと判断し、帰宅した。


その時の写真。



調べてみると、Fresh!と呼ばれるモデルとの撮影会のイベントらしい。


Fresh!撮影会


モデルさんも食べていくために休日返上で働いているんですね。頭が下がります。


通常の2時間撮影が2万円だから、マンツーマンじゃないことを考えるとその日の参加料は5000円くらいなのかな。
多くても時給5000円〜10000円くらいなんだろうか。


日本の若者が心配される世の中ですが、おじさんたちにも十二分に危ない要素があると考えさせられたお昼でした。


それではこのへんで。
ではでは。

1Q84 Book3を読んで(ネタばれあり)

やっぱり村上春樹はおもしろかった。それが1Q84 Book3を読み終わった率直な感想。

1Q84の世界感と論理性、それを支える構成と言葉の選び方(隠喩)が特におもしろい。


細部にまで意識を巡らせれば、ほとんどの謎が確信をもって結論付けられる。その論理性は、感動に値します。絶対悪とか人間の見たくない部分がなくて味気なかったという評価もあるようだし、自分は文学的な評価を全く出来ないけど、緊迫感があって読みやすくておもしろかった。


仕事は全く違えど、設計することを担うものとして(時には)、どんな構成方法を使っているのか非常に興味が湧いた。ファンレターの形とかで、絶対に質問したい。


以下、言葉の選び方も上手くないし構成もがちゃがちゃだが、ざっとおさらい。----------------------------------------------------------------------------
物語は、幼い頃から孤独を感じ、独立して生涯を歩んできた3人を主人公にして語られていく。


Book1,2までは、同じ境遇でお互いが引かれ合っている天吾と青豆の視点での話だったが、Book3ではBook1,2では脇役だった牛河が物語の語り手として登場する。


彼も現実に対する乾き(孤独や欠落)を感じて生きてた人間で、自分の外見に対して異常なまでの劣等感を持っており、愛がないことが自分であると思っている。ただ、心の奥底では、現実に対して強く愛を求めており、フカエリのドウタ(心の影)に会うことで、自分の心の影を強く意識してしまう。そして、牛河の世界のレールは1Q84に入ってくることになる。


牛河が自分の心の影を見つめたのは、フカエリと見つめあった時だ。(P321)

「少女の視線に刺し貫かれた痛みは、まだ胸に残っていた。ひょっとしたら永遠に消えることはないのかもしれない。あるいはそれはずっと以前からそこにあったもので、俺は今までその存在に気付かなかっただけなのだろうか。」

その後、以前はあった暖かったであろう家庭を何度も思い出すことになる。


そもそも、1Q84が何かについてはBook2でリーダーによって明示されている。(P273,275)

「そう、1984年も1Q84年も、原理的には同じ成り立ちのものだ。君が世界を信じれば、またそこに愛がなければ、すべてはまがい物に過ぎない。」
「光があるところに影がなくてはならないし、影のあるところに光がなくてはならない。光のない影はなく、また影のない光はない。」


また、天吾も1Q84について言及している

「深い孤独が昼を支配し、大きな猫たちが夜を支配する町のことだよ」


天吾と青豆が1Q84にやってきた理由もリーダーによって明示されている(Book2 P280)

「それがどうしてだか、君には分かっていないらしい」
「極めて簡単なことだ。それは君と天吾君が、互いに強く引き寄せあっていたからだ。」


そう、天吾と青豆も現実に孤独を感じ、お互いに愛を求めて1Q84に入ってきた。それは自身の心の闇(1Q84ではドウタと呼ばれている)にあった希望だったのだ。


青豆は首都高を降りたことによってであり、天吾は小説を書いたことによってである。前者はBook2でリーダーから告げられており自なので割愛するが、後者はBook3で天吾の意識として書かれている(P57)

「原稿用紙に向かっているあいだ、彼の意識はその世界で暮らしていた。万年筆を置いて机を離れても、意識はまだそちらに留まっていることがあった。そういう時は、肉体と意識が分離しかけているような特別な感覚があり、どこまでが現実の世界でどこからが架空の世界なのか、うまく判別できなくなった。きっと「猫の町」に入り込んだ主人公もそれに似た気分を味わったのだろう」


また、天吾の父も孤独であり、希望を求めているからこそ1Q84に出現したのだろう。


青豆も1Q84について認識を深めていく(P330)

「なんだか、他人の夢を見ているみたいな気がする。感覚の同時的な共有はある。でも同時であるとういのがどういうことなのかが把握できないの。感覚はとても近くにあるのに、実際の距離はひどく離れている」


また、中野あゆみも青豆にこう言っている(P220)

「私に言わせればね、青豆さん。この世界って理屈なんか全然通ってないし、親切心もかなり不足している」


主人公たちは、1Q84では原因と結果の論理が通用せずに、現実を受け入れ、そのルールを少しずつ理解していく。


また、希望についてのタマルの言葉もおもしろい(P49)

「希望のあるところには必ず試練がある」

そして、天吾の父も老婦人も、小松さえもゆっている(P275,280,297)

「人は受け取ったものの代価を支払わなくてはなりません。」


それが、天吾と青豆が望んでいる希望を手に入れる為には、1Q84という試練をこえていかなければならない。その試練を乗り越えない限り、希望は現実にならないことを暗示している。


ただ、天吾も青豆も1Q84のルールが分かっていなかった(P297)

「そうかもしれません。しかし何が大事なもので何が代価なのか、区別がうまくつかないんです。あれやこれや、あまりに入り組んでいるから」


それでも、引かれ合っているという希望を基に、二人は少しずつ前に進んでいく。


話は逸れるが、天吾も青豆も牛河も形は違えど優れたレシヴァだと思う。だからこそ、心の闇(ドウタ)を認識することが出来たし、だからこそ1Q84に入ってきたのだと思う。


牛河が優れたレシヴァであることは、この意識からも読み取れる。

「しかしこの少女は森の奥に生きる、柔らかな無言の生き物だ。魂の影のような淡い色合いの羽を持っている。」


つまり、フカエリを心の影(ドウタ)として認識していたことが分かる。


青豆が妊娠した要因は不明だが、そのドウタを介して、組み合わせの異なるパッシヴァとレシヴァの二人が交差して、出口と入口が変わる強い因果が起きたのだと思う。


ただ、牛河は自分の心の闇を、内なる希望を求めず、声を聞けなかったために死ぬことになる。
その暗示も物語中にふんだんに散りばめられている。


青豆は『シンフォニエッタ』を自身に必要なものとして知覚している
ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』の入ったカセットテープを手に入れなくてはと青豆は思う。〜あの音楽は私をどこかに−特定はできないどこかの場所に−結びつけている」


その反面、牛河は『シンフォニエッタ』に接触するも認識することを避けてしまう( P258)

ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』という曲名にはどこかで聞きおぼえがあった。しかし、どこでだったかは思い出せない。思い出そうとするとなぜか視野がぼんやりと曇ってきた。〜牛河はあきらめてラジオのスイッチを切り、〜」


また、どこに書かれていたかは定かではないが、牛河は自分のことを猫と表現していた。
その猫について、安藤クミの言葉も暗示的だ(P487)

「でもね、天吾くんは暗い入り口をこれ以上のぞき込まない方がいい。そういうのは猫たちにまかせておけばいい。そんなことをしたってあなたはどこにも行けない。それよりも先のことを考えた方がいい」


妊娠しているのが天吾の子であることを意識し、青豆は自分の生きる意味を強く意識する(P93)

「これが生き続けることの意味なのだ、青豆はそれを悟る。人は希望を与えられ、それを燃料とし、目的として人生を生きる。希望なしに人が引き続けることはできない。しかしそれはコイン投げと同じだ。表側が出るか裏側が出るか、コインが落ちてくるまではわからない。」


そして、天吾も青豆と二人で帰ることを強く感じ始めている(P248)

「二つに割れたコインがそれぞれあとの半分を求めるみたいに。」


コインがもう片方を求めるという元ネタは分からないが、青豆の語りと合わせれば、割れたコインが合わさらないと、表も裏も出ないということが導き出される。


そして、安藤クミとの出会いが天吾の歩みを加速させる (P176)

「天吾は彼女の誘いをきっぱりと断らなかったことを後悔した。でもそれと同時に心の隅では、自分が避けがたくここに運ばれてきたのだとも感じてもいた」


安藤クミは天吾を導きによって、天吾は後ろ髪引かれながらも未来をみるようになる(P184)

「夜が明けたら、天吾君はここを出ていくんだよ。出口がまだ塞がれないうちに」


一方、青豆は自身のドウタ(心の影)と更に向き合っていく(P475)

「私は誰かの意思に巻き込まれ、心ならずもここに運び込まれたただの受動的な存在ではない。たしかにそういう部分もあるだろう。でも同時に、私はここにいることを自ら選び取ってもいる。ここにいることは私自身の主体的な意思でもあるのだ」


そして、希望を信じてつき進む(P531)

「これからはこれまでとは違う。私はもうこれ以上誰の勝手な意思にも操られはしない。これから私は自分にとってのただひとつの原則、つまり私の意思に従って行動する。」


それでも、まだ謎は多い。なぜ教団はフカエリを探さないのか(マザがいるからいいのか、マザが失われてしまっておりドウタも意味をなさないのか)、父と母と天吾の関係、母・年上の彼女・安藤クミの関係(全て同じだと感じているが)、リトルピープル(=大きな猫?)とは、等々。


それでも、安藤クミは言っている。

「たぶんそこには死んだ人にしか正確には理解できないものごとがあったんだよ。どれほど時間をかけて言葉を並べても説明しきれないことが。それは死んだ人が自分で抱えて持っていくしかないものごとだったんだ。大事な手荷物みたいにさ。」

「でもね、天吾くんは暗い入り口をこれ以上のぞき込まない方がいい。そういうのは猫たちにまかせておけばいい。そんなことをしたってあなたはどこにも行けない。それよりも先のことを考えた方がいい」


つまり、数々の謎は1Q84に置いて、新しい世界では前を向いて生きて、と。


青豆さんもいっているように、過去に縛られず未来に生きていく必要があるのだ(P593)

「辿り着いたところが旧来の世界であれ、更なる新しい世界であれ、何を怯えることがあるだろう。新たな試練がそこにあるのなら、もう一度乗り越えればいい。それだけのことだ。少なくとも私たちはもう孤独ではない。」


時には近くに、時には遠くにある。それが、人の人との心の距離(P533)

「遠くまで行くとあんたは言った」「どれほど遠くなのだろう?」
「それは数字では測ることのできない距離なの」
「人の心と人の心を隔てる距離のように」

世の中は原因と結果の論理では簡単に説明できないことが多い。その中でも、希望を失わず、望みを信じて生きなければならないのだ。

と。

そして、そこでは決して測れない人と人の心の距離がとても重要だ。

と。


そんなことを言われたような気がしました。


長くなりましたが、このへんで。
ではでは。

短縮URLについて調べてみた

1Q84 Book3読み終わったー。


絶対あると思って向かった大きめの本屋で売り切れに直面し、現実に打ちひしがれながらも、別の本屋で購入したのが昨晩。


抑えきれない思いを胸に眠り、今日の朝からじっくり読ませてもらいました。
書評は後で書くつもりだか、ブクログからのTwitterへの自動投稿で、短縮URLが気になって調べたのでメモしておく。


 以下、ITproより転載

短縮URLとは、Webサイトが使うURLを短く変換したもののこと。Webサービスとして運営されている短縮URLサービスを使うことで、アルファベット数文字程度にする。

最近はTwitterによって注目されている。Twitterには一つのつぶやき(コメント)に文字数制限があり、コメントに入れるURLを短くしたいというニーズがあるからだ。


URLが判別不能な文字列になることや、短縮URLって名前の時点で上記のようなものであることは分かる。"http〜/アカウントのID/日付"のようなとても長いURLが増えており、それにニーズがあるというのもうなづける話だ。

「bit.ly」や「TinyURL」などの短縮URLサービスが有名で「http://bit.ly/」や「http://tinyurl.com /」で始まる短いURLに変換する。ユーザーが短縮URLサービスで短縮URLを作成すると、同サービスには元のURLと短縮URLをマッチングするデータベースができる

自分のTwitter短縮URLを張り付け、それに誰かがアクセスしたとする。短縮URLのリンク先は短縮URLサービスのデータベースだ。データベースはその短縮URLアドレスに合致する元のURLを、アクセスしてきたWebブラウザーに返す。Webブラウザーは元のURLにリダイレクトされ、Webページが表示されるという仕組みだ。ただしセキュリティ上保護されているWebページにはリダイレクトできない。


ふむふむ。上記のサイトでURLを短縮URLに変換すると、勝手にデータベースに登録されるわけだ。短縮URLにアクセスした人は、一度そのデータベースに元のURLを取得しにいき、短縮前のURLを表示するって仕組みらしい。


bit.ly」を使ってこのブログも短縮URLを作ってみた。


http://bit.ly/a7p0E2


bit.lyでは、この短縮URLがどれだけクリックされたかも確認できる模様。
(リアルタイムのトラッキングと履歴を確認可能な様子)


グーグルも短縮URL機能「Google URL Shortener」を出しているみたいで、グーグルツールバー内にあるんだとか(申し訳ないですが、Firefoxで検索窓があることと、ツールバーが一行増えるのが嫌で自分は使ってないです)


※参考になりそうなサイト
グーグル、URL短縮サービス「Google URL Shortener」を提供開始:ニュース - CNET Japan


ただし、短縮URLには危険性もあるようですね。

元のURLとは全く違うURLになることで、ユーザーを危険なWebサイトへ誘導する仕組みとして使われかねない。


※参考になりそうなサイト
短縮URLは「警戒すべきもの」:Garbagenews.com


クリックするだけで危ないこともある時代ですからね。
セキュリティの問題を解決するため、短縮サービスごとに対応を行っているようです。

そこでbit.lyは「bit.ly Pro」と呼ぶ企業独自ドメインによるサービスの公開ベータを始めた。例えばNew York TimesのWebサイトは必ず「nyti.ms」という文字から始まる短縮URLになるので、ユーザーは元のドメイン名を推測でき、安心してリンク先にジャンプできる。また「短く.jp」では、ジャンプ先のWebページを事前に表示する機能がある。


例え無料で提供していたとしても新たなニーズを発掘したことで、そのニーズ内に新しいビジネスが生まれるのは興味深いですね。


もうひとつおもしろいと思ったのは、市場の占有率が一気に変わったことです。
Twitterが標準とするURL短縮サービスを変えたことに因るとのことですが、Webの騰落の速さを如実に反映していると感じました。

Twitterが標準のURL短縮サービスを(TinyURLから)bit.ly に変えて1日か2日もしないうちに、bit.lyが一番人気のURL短縮サービスになっていた。Tweetmemeがまとめたデータによると、現在bit.ly はTwitterで過去24時間に使われた短縮URLの46%を占めており、TinyURLのシェアは43%に落ちている。ほんのひと月ほど前、 TinyURLのシェアは75%でbit.lyの13%を圧倒していた。Tweetmemeによると、bit.lyがTinyURLを抜いたのはきのうの夜のどこかだ。


※詳細は下記にて
短縮URLといえば、今やbit.lyが一番


今日はこのへんで。ではでは。

中村さん凄すぎ笑

昨日?大分話題になってたみたいですが、まだ見ていない方はどうぞ!
(周りに十分注意を払ってからお進み下さい)


31歳にしてうんこをもらしました


正直、腹筋割れますね笑
さすがの電○クオリティですね。